makonythm

まだまだ止まらないBEAT。mako2のリズム。2003年から続くアレコレ。

出口はどこだ

最近、倅(1歳5ヶ月になったよ)は『やだ(嫌だ)!』を覚えましたが、それまで「やだ」と同じ意味で『ないない!』を使っていました。それはそれで面白かった。たまに、もう何もかも否定する事があるの。まぁ、大体が「体調が悪い時」なんだけど。

mako2「お父さんトコ、おいで」

倅「ないない!」

m「ごはん、食べる?」

倅「ないない!」

m「ネンネするよ」

倅「ないない!」

m「いってらっしゃいのチュウは?」

倅「ないない!」

m「おはようございます」

倅「ないない!」

…お前は「NAINAI-16」か!(1歳4ヶ月は16ヶ月だったので、あながち外れていない)

konbu「じゃ、おっぱい飲む?」

倅「おっぱぃ!(にっこり)」

m「倅が否定しない。何故だ!」

k「フッ。坊やだからさ…」

と、年代が限定されるオチはさておき…。まぁ、その後、省略されて『ない!』になって、今は『やだ!』を覚えたワケですが、正しいとか正しくないはさておき『やだ!』と『ぃゃない(多分、いらないの意)!』を使い分けるより、全て『ないない!』の方が可愛かったなぁ、などと思ってみたり。

『無い』といえば、今回の仔猫ちゃんの公演パンフに松田さんが記した言葉『この世界を覆う虚無を、いかにして乗り越えるか』は、彼が毎回云う事で、まさに、今のテーマだと思うのですが、今まで、どうにも「虚無」の具体的なイメージが湧かなかった(虚無だから当たり前か)。…のですが、最近、やっとなんだか納得してきました(遅ッ!)。確かに、なんかあらゆるものに『なにも無い』のを感じるコトが多くなってきたのよ。それは「意味」とか「感情」とか色んなモノを含めて、とにかく『なにも無い』って感じなんだけど…。大体、あらゆる問題の原因は『なにも無い』事だし。

で、mako2が最近気にしてる『繋ぐ』ってのは、明らかに『出口』を探してる作業なんだなぁと思って。なんか『なにも無い』と感じるモノって、まず何が無いって『繋がり』が無いンだな、と。たとえば「過去」にも「未来」にも繋がってない「現在」のみ、なのよ。繋がろうとしてないようにも感じたりする。どうにも「その人だけ」とか「その周りだけ」とか「身内だけ」とか「今だけ」とか…見てみれば、繋がってンのはLANケーブルだけだったり(想定内の「軽いオチ」でごめんよw と、冗談はさておき)。

そんなだから「繋ぐ事」「繋げる事」「繋がる事」なんかがmako2の中に渦巻いてきてるンだなぁ、と。いや「人と人」とか「環境」「現在」に限らず、あやゆる「なにも無い」に対しての『出口』を求めてるんだろう、と。ココから脱出したい、と。で、よくいう『なにか』を探してるのかもしれない。大体『なにか』とはなにか、とも思うンだけど。しかし、はたと気づく。…これって、言い方を変えたら『この世界を覆う虚無を、いかにして乗り越えるか』と全く同じ事なんだなぁ、と。ちゃんと同じ船に乗ってるじゃん、と。で、乗り越えた先、追い越した先の風景を見たいっスよ、と。

人を掻き分けて、虚無を追い抜いて…(って、既になんかオチが見えてきちゃった感じもしますが続けます)僕らを乗せて何処に行く?…と。丸い地球の水平線に「なにか」がきっと待っている、と。

♪苦しいコトもあるだろさ、悲しいコトもあるだろさ、

 だけど僕らは挫けないー 泣くのはイヤだ、笑っちゃお!

そうです。ひょっこりひょうたん島ですよ。なんて前向きな歌なんだ。余談だけど「苦しいコトもあるだろさ~」のトコって、「ひょうたん島」がリアルタイムじゃないmako2が一番最初に聴いたのは、ジック(うじきつよし)率いる「子供ばんど」の「子供ばんどのテーマ」の一節として、だった。イイ歌詞だと思ったらパクりだった(笑)。けど、あの引用はしょうがないわ。やっぱり、どうしても口ずさんじゃうもん、このフレーズ。

まぁ、そんな事を考えたりしてました。クサクサしていた僕を、松田さんが連れて行ってくれた「ひょうたん島の隣」で。ひょうたん島の隣には、50歳に手が届こうという男が涙するような「夢」が「ありました」よ。やっぱ、この「なにも無い」の「出口」は『夢』でしょう。これからは、増量で「夢」語っていきましょう。みんなで「夢」繋いでいきましょう。

今は、周りをウロチョロしながら、乗っかって行こうと思っています。つか「乗っかる」し「乗っける」し「乗っけて」な感じ。みんなも、乗ってけ、乗って来い!