makonythm

まだまだ止まらないBEAT。mako2のリズム。2003年から続くアレコレ。

今年の初雪は

370602743_11.jpg下北沢本多劇場で降ってきました。 怠い夏が過ぎると、あっという間に冬になり、気が付けばすっかり積もっててビックリしました。それは、終演後もしんしんと降り続いてました。 先週の話になりますが、ポツドールvol.16『激情』を観てきました。なんかわかったような顔でグダグダ書くのはカッコ悪いなぁ、とわかっちゃいますが…今回もダラダラ書きますよ。読んでる途中で飽きちゃうくらいw ポツドールを観るのは『愛の渦(その後、第50回岸田國士戯曲賞を受賞)』に続き、二作目。初演を観られず、待ち望んだ『激情』の再演。その間「劇団演技者。(森田剛主演ver.)」にも手をつけず…つか、まだDVDになってないみたいですね(ご贔屓の生田斗真が主演した「男の夢」も全話録画してあるけど、まだ見てません。こちらも未発売らしい)。元々、前にポツドールの『愛の渦』を観に行ったのも「とにかく「劇団演技者。」での「激情」が凄かった」って話を聞いたからだったンで、今回、再演とはいえその原作を観られるってンで、とても楽しみにしておりました。 当初、観劇後に「演劇バカの会(会長による激・劇・檄トークのオールナイトイベント)」を開催予定だった事もあり、色んな意味で覚悟して、気力・体力とも、この日に調整して臨んだのですが…忘れてた…ポツドールだった…今回も観劇だけで、かなり消耗しましたわ。結局「~バカの会」は会長欠席により延期になったので、残念だったり、体力的にはちょっとホッとしたり(笑)。 でも『毒を以って毒を制す』だったのか、例の独特の「マイナスな気分」を越えて、その後「消えそうだった僕の激情」が再燃しましたよ。例によってポツドールの「お持ち帰りグルーブ」は、まんまと週明けまで引きずっちゃいました。いや、まだ引きずってます(とにかく、何度も何度も反芻して、色んな細かいシーンを思い出しちゃうグルーブなんだよね。良くも、悪くも)。 まず、会場に入ると、これでもかって程ブ厚いチラシの束を渡された。最近は凄い量なんだなぁ、折り込みチラシ…と、どーでもいい事に感心してみたり。座席に行くと、お約束の「岡村ちゃん」が結構デカい音でかかってて(持ってない音源だと思ったら、実家に置いてきた「SEX」だったみたい。最近あんまり聞いてないだけだった)、薄暗い舞台には、どうやら二部屋(一軒家)。一緒に行った友人は初演も観てて「その時は、もっと会場も客席も狭かったから、演出とあいまって、凄い閉塞感があった」って云ってたけど…今回はまぁ、あの広い本多劇場進出ですしね。そーいった意味での実際の「閉塞感」は余り感じないかなぁ、って感じで。そして、10分オシでイキナリ音が止み、開演。 夏の日、台所で両親が首を吊って死んでるのを発見して、主人公がひと吐きするシーンから始まるんだけど…ストーリーについては、既にweb上のソコココで語り尽くされているみたいなので、とりあえずテレビ版のあらすじにリンクして省略(もちろん、テレビでは放送できないようなオチだったので、参考までに、ですが…それでも、できればキチンと全部読んでいただきたい)。で、今回の内容が僕にとって「リアル」か「今」か、といえば、決してそうとも云えず、思い出せば思い出す程、あくまでも《かなり完成度の高い舞台(それが必ずしもポツドールに対しての褒め言葉になるかどうかは別として)》でした。以前に観た『愛の渦』よりも、より芝居っぽく感じたのは、舞台設定が北国で、僕が東京出身の都会っ子だからかもしれません。あ。『愛の渦』みたいな「マンションの部屋(完全密室)」に対する覗きじゃなくて、庭先っていう「屋外のセット(や、もちろん今回も相当リアルなんですけどね)」が組まれていたからかもしれないなぁ。 云うまでもなく、部屋は二部屋(もちろん、奥の台所やトイレのドアに至るまで)とも「絶対に住んでるはず!」てくらいリアル。夏の出来事から始まるンですけど、もうその「夏感」は本当に「田舎の夏」なんですよ。暑くて、怠くて、日が長くて、セミが鳴いてて…。そういや、部屋の蛍光灯は本物なんだからさておき、あの「間違いなく夏の午後、の独特な日差し」の照明とか、どうしてあんなにリアルに出来るンだろう?『愛の渦』の時(比べ過ぎててスミマセン)の「カーテンを開けた時に差し込む、夜が明けてしまった朝の光」の感じといい、本当にリアル過ぎるよ。照明だって事、忘れちゃう。 で、夏の話が終わって(1時間くらい?)から、やっとタイトル映像。映像が終わると、庭先にすっかり雪(これも超リアル)が降り積もってて、本当にビックリした。どんな転換? で、そこから、怒涛の「冬の出来事」が1時間半くらい。その間も、シーンによってはガンガン雪が降ってくンの。舞台裏(上?)にどれだけあるんだ?その雪。まぁ、そんなコトぁどーでもいいンですけど(笑)。 とはいえ、期待通り「出てくる人物」はどいつも、どうしょうもなく「人間(それも日本人。多分、更に田舎の方の、ってコトなんだと思うけど…なんせ僕は都会っ子)」で。あの「普通の声量で普通の会話で複数が同時に話す」ってのも、二度目にして早くも慣れたし(リアルなエロ描写にも驚かなくなったし)。東北弁ってコトもあって聞き取れないセリフがいくつもあるンだけど、もう、全然関係ない。相変わらず、僕の周りにも確実に存在する感情に満ちてました。つか、思い返したら具体的に思い浮かぶ知人がいて、非常に具合が悪くなってきた。そっちは芝居じゃなくて現実だからなぁ…余計に凹むわ。彼の生活は舞台になり得るんだなぁ。怖いなぁ。…いや、そーゆー意味では、やっぱり今回もリアルだったのか。間接的なリアリズムか。こんなに後になってからクるんだ。あぁヤな感じ。 web上の感想をチラホラ見ると、ラストシーンに関して「最悪」とか「救いが無い」とか「地獄絵図」とか、そーいった表現ばかりですが…まぁ、本当にそうなんですけどね。もう、余りにも酷くて、思い出すと笑っちゃいそうになるンですけど。ありゃテレビじゃ無理。つか、初演とも若干違うらしいンですけど…舞台上の全部の場所でいっぺんに、マルチな構図で酷い結末なんだもの。 しかし、思い返せば思い返す程「よくできてる」としか云い様がない。まぁ『愛の渦』と比べると、暴力的に激高する場面がちょっと不自然だったりもしますが…まぁ、そんな単純なヤツらの集まりだって設定なんだとして…戯曲のセリフから、伏線から、演出も、美術も、何から何まで完成度高い。役者もみんな巧いし。毛皮族町田マリー嬢が出てたンですが、以前「毛皮~」で観た時より、普通に巧くて可愛かった。一緒に観た友人が「微妙にマッチしてない感じがした」って云ってたけど、彼女だけベッタベタの東北弁じゃなかったから、垢抜けて見えたのかなぁ…とも思いつつ。とにかく役者はみんな凄く巧かった。ポツドール安藤玉恵嬢(岩田紀子役)って映画の『松ヶ根乱射事件』にも出てるみたいですが(観てないけど)、そーいった「閉鎖感のある北国顔」なんでしょうか?(…と思ったら東京出身だったw 因みに、脚本・演出の三浦大輔氏は北海道出身らしい) そういや、話の中に「東京から帰省した友人たち(と、その友人)」が出てくるンですけど、あーゆーベタベタな東北弁の中で、なんとまぁ標準語の居心地の悪いコトか…。ああ、アレじゃ転校してっても友達になってもらえないわなぁ、と。あと、細かいトコだけど「わー、きっとわざとだけど、ヤなコト云わせるなぁ」って思ったのが、その帰省中の友人が東京から一緒に来てる友人(多分、都会っ子)を指して「あ。こいつ、東京の友達」って云うのよ、なんとなく自慢気に。普通に東京で育っちゃった僕としては、ただの友達じゃなくて「東京の」友達か、と引っかかりドコだった。東京に出て都会の生活をしてる友人の「嫌な感じ(言葉遣いも話題もノリも行動も)」には(ベタだけど)、いつ主人公が、その手に持った大根でブン殴るのかと、今か今かと待っちゃったよ(もちろん、期待に応えてくれて、暗転)。 町田マリー嬢演じる関根の「アタシ、結構エッチだよ」とか「じゃあ、ギャグでKISSしようよ」とかのSEXに至るまでの感じとか、なんかドキドキしちゃった(連想で色々な恥ずかしい自分の過去を思い出してw)。あと、転換に入る「ナレーションの感じ」とか、岩田の元旦那が「野菜を持ってくる」くだりとか、借金の返済に「誠意を見せれば」のくだりとか、確かに要所で『北の国から』を思い起こさせるトコが多かった。さすがに「ポツドール北の国から」って云ってるだけある。ソレも今回「演劇」っぽく見えた原因かもしれないんだけど…それも今思えば、ね。 で、問題のマルチ構図なエンディングは(それまでの流れはほぼテレビと同じなんで説明しませんし、完全にネタバレ記述ですが気にしません)「下手の部屋:菅原(主人公)が全裸で自分の親の仏壇に両手をついて、バックから金貸しの田嶋(全裸の背中に般若の刺青)に“誠意”を見せている…というか、無言でガンガン“掘られ”てる(会場にはパンパンと“当たる音”が響き渡ってる)」&「中央の部屋:当初善意で菅原の借金を返済していた金を売春(江口)につぎ込んだ久保が、孕んだ江口の腹を殴り…トイレから出てきた江口の股間(白パンツ)から鮮血が流れてて、江口絶叫+開き直る久保+下手の部屋からお役目を終えて追い出された岩田の元旦那(ブリーフ一枚)」&「上手の庭先:雪の中、事故で杉山(被差別部落出身の成り上がりの友人)に輸血された包帯だらけの遠藤(それまで、出てくるヤツの中で唯一、割と普通の人に見えていた)が、岩田と逃げようとした杉山に“テメェの血を輸血してくれなんて頼んでねぇンだよ!俺の体に一生この血が流れるじゃねーか!一千万払え!”などと罵声を浴びせながらボコボコに杉山を蹴りまくる+“なんで余計な事したの!”などと口汚く杉山を罵る関根+一緒に逃げるはずだった杉山を助けるどころか冷ややかに突き放す岩田+ボコボコにされながらも喚き、血まみれの唾を遠藤の顔に吐き続ける杉山」ですよ。同時に行われてるワケで、ドコ観ていいやらワカンナイ。もう「どうしょうもない感じ」のピークってコトだけはわかる。どれもみんな直視できないほど酷過ぎ。なんかスロットマシーンで「血(暗いイメージのそれ)」を連想させる絵柄がパンッパンッパンて揃っちゃった風。不毛(生まれない)、不毛(生ませない)、不毛(生まれちゃったんだからしょうがない)、みたいな。どーしょうもない(挿れちゃった)、どーしょうもない(挿れちゃった)、どーしょうもない(入れちゃった)、みたいな。で、幕。客電つくと無人の庭先に振り続ける雪。スクリーンにクレジット流れる。カーテンコール無し。そりゃ、拍手も出来ないよ。まぁ、全裸の男とか、股から血を出してる女とか、血まみれの包帯男がカーテンコールで出て来てお辞儀したら、本当にそれこそ笑うしかなくなっちゃうンだけど(苦笑)。テレビじゃ出来ないオチだわね(同性愛はもちろん、差別に関する伏線も含めて)。どうもテレビのエンディングは、あらすじを読んでても、やはりちょっと表現(もちろん具体的な説明も)できないぶん不完全燃焼な感じだよね。実際に「そういう差別」がある地域じゃ公演できないだろうし、有名になり過ぎたら危ないンじゃないか?なんてのは余計な心配か。 今回のテーマは『裏切り』だったとか(男女間でいくら信頼関係を築こうとも、人は絶対裏切る。しかも、どうということのないきっかけで、なし崩し的に「ま、いっか」という感じで。その「ま、いっか」の中に、人間の本質が隠れている。「裏切り」をテーマに「田舎ならではのやるせなさ、どーしょうもなさ、虚しさ」という愛憎をリアルに真摯に人間関係を追って描いた嘘のない物語…だそうな。ええ、確かにそうでした)。しかし、あの物語の中のヤツら、あの気怠い今回のはじまりの夏から、あくまでも普通の生活の中で、各自があがったりさがったりして、深深と積もった雪みたいに気持ちも積もっていって、あの、最低の、醜い、どーしょーもない、グジャグジャの冬の日があって…そこで物語は終わってしまいましたが…きっと、あの雪が溶けて、また春が来て、地元なんだし、みんな生きてるんだし、普通にまだ図々しく同じ場所で暮らすんだよね。個人的な別れがあったとしても(きっと、これまでもあんな裏切りとか差別とかは普通にあったンだろうし、またなんとなく戻っちゃうんだよね)、気持ちは雪みたいに溶けるワケでもないのに…。まだまだ続くんだよね。あのまま。そこが、本当の《最悪でどーしょうもないトコ》かもしれないなぁ、とか。 本編2時間半近くあったンですけど、結局、体感1時間くらいの気分でめりこんで観ちゃいましたよ。予備知識アリアリだったのに、全く気にならなかった(それどころか、エンディングには驚いた)。あんな極端な状況や暴力や差別(特に部落差別はイマイチ、ピンとこないのが「山の手っ子」なのかなぁ、とか)が日常にあるかって云ったら、無いかもしれないけど、でも、あるよなぁ、と。凄くリアルかって云ったら、そうでもないけど。あーゆー図々しさ、情けなさ、虚栄、嘘、諦め、差別…あるよなぁ、と。愕然としたり、それでも、そんな世界で、そんな人間と共に生きてるのが現実なンだよなぁ、とか思ったり。それにしても、よくジャニーズ枠の「劇団演技者。」でやろうと思ったなぁ…とか、まぁ、皆までは申しますまい。 とにかく今回も《凄かった》ンですよ。なんか嫌な気分だとか云っても、面白かったンですよ。もう一回観たかったくらい。やっぱり、色んな意味で『傑作』だと思います。大きい会場でも、ちゃんとポツドールだった(それがまた凄いコトだと思う)。ポツドール、また観たいわ。でも、出来ればまた、狭いトコで。息を殺して観たい。いや、覗かせて欲しいっス。 やっぱ、まとまりなく、すンごい長くなっちゃった。 記録的な長さだ(けど、書ききれない感じ。ま、これでいいのだ)w 嗚呼、けど、コレ書いて、やっと「あのグルーブ」から開放された気分です。