makonythm

まだまだ止まらないBEAT。mako2のリズム。2003年から続くアレコレ。

サルメを観てきた。

yotsuya_flyer.jpgGJ(娯楽ジャンキー)休業中のmako2です。とはいえ「中毒」が休もうと思って休めるワケもなく…楽しいものを求めて日々暮らしているンですけどね。まぁ、GJを名乗りはじめた頃みたいに「エンターテイメント」と云われるモノに関しては、ちょっと興味が減少したってだけで。つか、正確には「現在、エンターテイメントと呼ばれている(自称含)モノ」に関して、あまり興味がありません。 前回、スネークマンショーの事を書きましたが、一通り復習して、最近のコメクラキンもチェックし直して、またネタ制作妄想のカオスに突入です。やっぱ、たまには「バック・トゥ・ルーツ」って必要ですね。これもまた循環作業。カオス(混沌)とコスモス(調和)をグルグルと行ったり来たりです。そういった意味で松田氏(a.k.a.久保田氏ですが、やっぱり僕にとっては松田氏なんだよなぁ…出会った時に松田氏だったから)の云っているメリーゴーラウンド・トーキョウの概念は、かなり長く楽しめる。 さて、まぁ、前回の日記からまたいろんな事があったのですが…10年振りに再会した友人の話などは諸々アタマの中がまとまってから書きます。とはいえ、冷めないうちに打った方がイイ鉄もありますので、今日は先週観てきたサルメちゃんのお話でもダラダラと書こうと思います。前回、オレナイターズもニヤニヤしながら読んでたらしい「観客批判にmako2珍しくご立腹」の件もありますし。今回はちゃんと書こう、と。まぁ、実のところ、公演を観終わった直後、最近かなり濃密にお付き合いしている松田氏のお店に集まってみんなで話をした折に、松田氏が「今回こそ、スルーせず、ちゃんと書いた方がイイ」を連発してたンで…てのもあるンですけどね。アンケートも書かず、終演後に会った出演者の皆様には『まぁ、ヨカッタよ』『残りの公演、頑張ってね』と社交辞令的なコメントをしたワケですが…『好き好きウズメちゃんだったmako2のコメントとして、本当にソレでいいのか?』と松田氏に小一時間詰め寄られまして…。やー、だってもう「アレでいいンじゃないのか?」とも思っちゃったりもしてるンだよなぁ。前にも書いたと思うけど…アレが「サルメ」なんでしょう、多分。もう完全に「僕の求めていたモノ」が無かっただけでさ。そもそも僕のためにヤってるワケじゃないンだし。まぁ、でも正直に思った事を書きますよ。
で、先週の金曜(公演2日目のソワレ)、「演バ会」の選抜メンバーでサルメちゃんの本公演としては4作目の「夜艶怪談~和・ラヴィアンナイト!~」を観て来たワケです。因みに、最近何事もバック・トゥ・ルーツな感じだったので、チケットは水野B愛日嬢にお願いしました(元々サルメの前身ウズメと出会ったのは愛日嬢の紹介だったのでね)。よくよく考えたら、観る度にココで「愛日嬢に目が行った」とか「愛日嬢がヨカッタ」とか評価してンだから、ちゃんと指名してあげりゃイイんだよね(キャバクラ的な考え方だけど…もしまだ「ノルマ」なんぞが存在するなら、それが正しいか、と)。 一緒に観た「演バ会」の先輩はmixiの日記で『内容に関しては特筆すべきことはありません』とバッサリ一刀両断しておりましたし…確かに肯いてしまうンですが…まぁ、それでも観てしまった「ウズメちゃん周り」については、なんとか書くのが「mako2ッキ」なんで…何か書こう(色んな影響に配慮して直接観に行かないから感想も述べられないであろう松田氏の強い要望に応えて、が正解だけど)。あと、最初に書いておくけど、ダラダラ斬るよ。ズバッと斬らないから、関係者は痛いかもしれないよ。ちゃんとダラダラ斬るからね。それから「俺には関係無い」って人は、今回はもうスルーした方がいいよ。多分、意味ワカンナイだろうし。 さて。どなた様かが「旦那ぁ、目を凝らして、細かいトコを褒めてくださいよぉ」っていうならね、高橋T真子嬢の演技が少し伸びてたよ(多分、外部公演に参加したからでしょう)ね、とか、有近さんの曲、良かったねーとか…藤崎R祥子嬢がちゃんと歌で立ってたなぁ、とか…あ、変わった衣装でカンカンやってたね、とか…なんかちょっと引っ掛かった台詞があったような気もするな、とか(や、憶えてないのは引っ掛かってないのと同じ)。まぁ、確かに細かくはあるンですけどね。でも、今回は(まだ誰かサルメ関係者が読んでてくれる事をちょっぴり期待して)、もっとサルメちゃん自体の為になるような「全体的な感想」を述べようか、と。や、為になるかどうかはワカンナイけどさ。つか、実は、今回も申し訳ない事に、もう本当に細かいトコまでは憶えてないンです。そういや『今回、考えないで感じるように心がけた結果、何も残りませんでした』って先輩に云ったら『いや、今回は色羽演出だから、その見方はしなくてよかったンじゃない?』って普通に答えられたよ。うっかり。 てなワケで、今回は初の「作・演出:色羽紫」作品。今までの演出「佐とうひでき」は演出補に降格(笑)というか「プロデューサー」になってます(昇格いう見方もある。因みに、件の先輩は「ひでき、今回は「金(制作費)」引っ張って来たのかなぁ」と云っていましたが…どうなんでしょうかね、プロデューサーもいろいろいますし)。制作は「SUI」だそうで…ちゃんと制作会社が付いたのかな、と(その他のクレジットについては省略)。 サルメ作品としては、前3作に比べて「単純な構成」でわかりやすかったと思いますよ、良くも悪くも、何のヒネリも無く。多分、それが「色羽演出」って事なんでしょうね。つか、やはり「作・演出」って事もあるンでしょうけど…今回も相変わらず「ノーカット版」な感じでした。やっぱり、不要な部分をカットしてない(出来ない)。つか、そもそも自分で書いたモノなんで、尚更の事「不要なシーン」が見えて無いンだろうなぁ。軸になるテーマがあったら、客観的に見れば不要な部分って見えてくるものなんだろうけど(…大体「テーマって何だったンだ?」って気もするし)。例えば、思い切って死にきれない少女の幽霊が出てくるところからスタートして単純に「念願の恋が出来て成仏する幽霊少女の切ないお話」に焦点を絞った方が、安直なれども『最後にホロリとさせる』パターンで、納得できたンじゃないかなぁ、とか。mako2は演出家じゃないし、他人の作品なんでナントモだけど…オチの部分も、ふたりが井戸に飛び込んだ後、B嬢(少女の幽霊役)が「青春の光と影(ウズメ時代の名曲ラブソング)」を歌うだけの方が物語に説得力があったンじゃないのか?…とかさ。だって、別に、終演後の感想が「笑えた」だけである必要なんて全く無いじゃん。そもそも、全く笑える場所がなかったし(小ネタ、減ってるよね?)。だったら「賑やかに見えて、実はちょっとイイ話だったね」はアリでしょ、とか。結局、なんだかボヤけちゃったけど。まぁ、それにしても今回も長く感じたっス。特にアンコール部分ね。終演が名残惜しいのはお客さんじゃなくて、舞台上の人なのじゃないかと思うくらい。無意味に何度も出てきて…いやぁ、長かったわ。アレは構成が悪い。 テーマって話をすると、当日配布のパンフレットに座長は『血や脳味噌が飛び散る恐怖より、時に人を“愛する”方がどれだけ凄惨でグロテスクな恐怖を生む事か』『レビュー×怪談 今回のテーマにミスマッチな印象を持たれた方もいらっしゃるかと思いますが、そんな事は決してない』『日の当たる場所には必ず影ができます。私はその影も引き連れて舞台に持っていきたい』『“ため息が出るような美しいレビュー”は、私の本意ではありません』と今回のテーマや集団の方針に触れていますが…とにかく、それを踏まえた上で観ても、怖くなかったし…なんかやっぱり表現しきれていなかったなぁ(ブレてたなぁ)、と思うワケですよ。大体、そもそも今「愛する」の反対って「怨む(憎む)」なんでしょうかね? 最近の昼ドラによくある「愛憎劇」って「愛」と「憎」が並列になってるような気がするし…「可愛さ余って憎さ100倍」とか、そんな風にわかりやすくないトコに納得するんじゃないか、とか。芝居の部分だけ観れば、シチュエーションも出演者の感情も安易だし(まぁ、毎回の事だけど)、ちょっと古かったような気がします。今時「テーマパーク」って云うなら中国の「堂々と偽物を提供してるヤツ」をパロった方がオモロいし(それも既に古いけどさ)…お寺の隣の劇場とはいえ、冬に怪談ってのも…せめて主役が雪女ならまだしもねぇ…。タイトルの「夜艶」も「和・ラヴィアン」もイメージ&駄洒落どまりなのは残念(パロディなコピーライティング能力は相変わらずイカしてるけど)。 結局、パンフにあったような『偏愛の怖さ』もなかったし。因みに、mako2の知り合いの某元B級アイドルなんか、成人した時にストーカー的なファンに笑顔で「美味しくできたから、飲んでね!」とプレゼントされた『自家製梅酒』に「どう見ても梅からは出てこないだろう、白っぽい人間の体液的なモノが、上の方にプカプカと層になって浮いてた」なんてエピソードを持ってる。実話なのに、ソッチの方が怖いじゃん。なんだ、その愛情表現?(いや、理解しがたいけど、いろんな話を聞いていると、多分、彼なりの愛情表現なのよ)みたいな。最近話題になるサッカーの平山選手に付き纏ってる女性の思考なんか、完全に壊れちゃってる愛情だもんねぇ(まぁ、そんな熱心なファンの話は過去にも数多いけどさ)…けど、テーマを「人を“愛する”という凄惨でグロテスクな恐怖」にするなら、その子の妄想視点で恋愛物語を紡いだ方が、凄く倒錯してて怖くてオモロそうじゃん? なんか、今更根本的な話になっちゃうけど毎回観てて思うのは「テーマ」が全然「主題」じゃないンだよね。テーマだったら、最悪「それだけ」でも伝われば良かったりするンだけど…そもそも『伝えたい事』なんて無いんじゃないかとさえ思えてくる。突き詰めるとノーコンセプトっていうか…やってる根拠が見当たらないンだよね(なんでNYに行くのか、なんでNYがゴールの設定なのかも含めて)。なんか、ウズメ時代に感じた『批評性(裏テーマ的な、時代に対する挑戦的な悪意)』が無くなったのは、あの強烈な「概念ヲタク」というか「コンセプトディレクションヲタク」のスタッフ(ご存知、松田氏)が居なくなっちゃったンだから当然としても…『某レビュー集団の脱走兵が行き場を失い…』って云ってた「海藻電車(ウズメとサルメの中間地点)」の時にはあっただろう『言葉にならない情熱(多分「演出バカ一代(豪腕)」の松田氏と離れた事で、自分たちの考える「楽しく自由な表現」ができる気がした、あの時の何か)』みたいなものまで無くなっちゃってるように見えるンですよ。そうなると今や「で、何ヤりたいの?」…みたいな。どんどん「ヤりたい事があって、それを実現できるメンバーと一緒にいて、活動してます!自由で楽しいです!」って感じには見えなくなっちゃったなぁ、と。mixiの日記で先輩が書いていた『この集団に関してはスタイルばかりがあざとくなり、何を表現したいのかさっぱりわからなくなりました。表現したいものがあるのではなくただ舞台に立つことのみが目的になっているような。そこで何を表現するかは全く考えてない、そんな風に思えます』ってトコだよね、まさに。なんか「憧れ」も「共感」も無い舞台って、つまらないじゃん。ただの学芸会。まぁ、身内目線(親戚の子とか友人が出てるって感覚…mako2としては「元ウズメだから」みたいな)で観れば「それなり」に「頑張った」って感じだし、コメントするなら『まぁ、ヨカッタよ』なんだけど…それって全然『世間標準』じゃないからね。ウズメじゃなくて、今のサルメが毛皮族やらその辺の小劇団より面白いとは言い切れないもん。理由はどうあれ、事実だけ見れば、向こうの方が評価されちゃってるのが「世間」だし、サルメに関して思えば「いや、その評価が間違ってる」とは云えないよね。 まぁ、ウズメ時代に色羽嬢(当時脚本家)と膝を詰めた事情通の松田氏(当時演出家)の解説からすれば『色羽の後にあるのは「虚無」なんだ』って事なんだろうけど…そもそも「虚無」って「空(仏教で云う「色即是空」の空、ね)」の概念(有でいて無・無であって有…みたいな)とは違って「本当に全く何も無い」だからなぁ(もちろん、そうなると「虚無がある」ってのも変な表現なんだけどさ)。でも、なんかちょっと最近の作品を観てると納得せざるを得ないなぁ、とか。まぁ、そんな事云って、mako2も松田氏に『キミの後ろにあるのも「虚無」だろう』と指摘されているンですけどね。いやいや、松田さん、僕の後ろには『愛する家族』が居るし『誰かに伝えたいコト』もあるンだってば!因みに、現在の様々な若い演劇作品全般について、先輩はmixiの日記で『もう、虚無すら無い』とバッサリ斬っていました。…正しいかもしれませんな。悲しい事ですが。 それから「劇場に入ってから、出るまでを楽しませよう」ってコトだったンだろうけど、劇場入口~エレベーター内~客席扉で、ディズニーランドのシンデレラ城的な寸劇に付き合わされたり、終演後の劇場前まで追いかけてきて物販を叫んだりしてた人がいたりしたンだけど…アレはどうなんでしょうかね? 確かに、気持ちはワカランでもないけど…だったら、ちゃんと本編に繋がるような全体演出にすればいいし、客が全員帰るまで演じ続ければいいのに。なんだか、ただの思い付きの単発アイデアで終わっちゃってるンだよね、まさに学園祭ノリで。ヤるならヤるで、もっと本気でヤればいいのに。つか、本気じゃなかったらヤっちゃダメよ。なんか、そーゆートコが『客をナメてる』と思うんだよね。まぁ結局、まだそーゆーのを面白いと思ってるレベルか、と。アレ、松田氏が観に来てたら、ヒデキーマウスはエレベーターの中で再教育されてたでしょう「客をナメちゃダメですねぇ」とか低く呟かれて(是非、そのシーンを見てみたかった)。例えば、松田氏が来る事は想定しなかったンだろうか。来てもヤったンだろうか。半笑いってそーゆー事なんだろうか。つか、実際に松田氏が来てたら、ヒデキーマウスは半泣きだったンじゃないだろうか。想像力の欠如…いや、やっぱナメてんだな。次回、ヤるなとは云わないけど…ふざけたコト程、覚悟して本気でヤった方がいいよね。ロッキーホラーショーの売り子がそのままステージに上がる「演出」とは違ったってコトですよ。 とにかく、全体的な感想としては『全てにおいて、理屈(理由)が無さ過ぎる』ってコトかな。何も無いに等しい。今のサルメには理屈(理由)が足りない。一回もっとちゃんとみんなで考える時間を作った方がいいンじゃないでしょうか? あの「サルメ縁起」とか、そーゆーのは上っ面の小ネタであって、コンセプトじゃないからね。そろそろ、ちゃんと足元を固めた方がいい。ちゃんと勉強して。まぁ「ちゃんと理解してくれるファンもいるし、今のままで大丈夫」っていうなら、それはそれでイイと思いますけどね。 いや、実のトコロ、今回はサルメが袂を分けたというか…逃亡した(って表現はいかがなものかとは思うけど)元の演出バカ一代(この表現はアリです)松田氏が、前回のROUGE公演のスタッフとして作品を創りはじめたタイミングだし、サルメのRちゃんはそのROUGEの作品を観に来てたしさぁ…なんかソレがまた刺激になってモチベーション上げて、底力を発揮するような期待があったンだけどなぁ。一方、松田氏の方は、やっぱ「俺がヤるって事はこういう事だ」みたいな豪腕ぶりで、リハビリ作品(とは云わないだろうけど)なのに、軽く150kmオーバーの球威で、事実、ウズメ時代とは全く関係無いスジからいきなりテレビの話とかが来ちゃってるっていうのも…何か考えちゃうのよ、元好き好きウズメちゃんとしては。大体、今回のサルメの「旅芸人一座」の設定とか「練炭自殺」とか「バーチャル座長」とかの小さなコンセプトワークって、5年も前の末期ウズメで松田氏が僕の前で云ってた設定だし、サルメにとっては『コンセプトディレクターの置き土産』じゃん。ならば、もっと上手く使えばいいのに…と。まぁ、次回に期待…していいのか? で、今回もダラダラと書きましたが、全ては「愛情」があってこそ… …とかいうのは、今回はナシでいいかな、と。サルメちゃんたちはもうmako2の事を「現在“あの”松田さんの一番近くに居る人間だ」ってわかってるだろうし、そのポジションって、もうすでにサルメちゃんにとって「ただのファン(お客さん)」ではないしね。実際、松田さんとはかなり濃密に新しい様々なプロジェクトについて話てるし、楽しいし…「何かを創るスタッフにいる」という意味では競合他社みたいなもんだろうし。いや、僕も日々勉強してますよ。 いやぁ、しかし、そんな中、毎回松田さんに云われるワケですよ『mako2、あの書き方は嫌われるよォ』とか『あの書き方は、後々怨まれるよォ』とか『今、サルメにとって「一番嫌なヤツ」はmako2ってコトで間違い無いでしょ』とか。どっちの人ってワケじゃないけどさ、やっぱ、あんまり嫌われたり怨まれたりしたくないよなぁ。ま、書いてるコトは毎回殆ど本音だから…どう思われても仕方無いンだけどね。ま、一応、サルメちゃんに云っておきますよ、 『怨まないでね♪』 (お後が宜しいようで…テケテンテンテン…なんか疲れた)