makonythm

まだまだ止まらないBEAT。mako2のリズム。2003年から続くアレコレ。

【俺夜blogより】1993年 mako2、DJデビューの巻

『俺夜blog』開設にあたり、mako2のDJとしての歴史(?)をいくつか『俺夜blog』に記しました。コレはその転載。mako2ネタとして、ひとまとめにしようと思って(自分用にw)。以下、転載文。

1993年12月『(イベント名憶えておらず…不覚!)』にてDJデビューした日の事を話そうか。

X’masムードに浮かれる夜の青山。

当時、某FM局のADだったmako2は、担当番組のパーソナリティ“パパQ”氏にそそのかされ、

度胸試しのつもりで5分の出演時間をもらったんだ

(とはいえ“持ち時間5分”とは、今にして思えばヒドすぎるよね)。

場所が「青山のサルサクラブ(超オシャレ)」、共演者が「J-WAVE(当時開局したばかりで

最先端)のモノホンのDJたち」、機材は「レコードが主流の為、CDの場合はポータブルCD機

2台(BPM調整機能無し)」…と、かなり分が悪くビビっていた為、銃声のSEから「ルパン

Ⅲ世’79」などJAZZテイストを織り混ぜ、mako2なりに「青山のサルサクラブなんかに遊び

に来る気取った客」に媚びを売るスタート。

しかし我慢がきかず、5分の間に「モンキー・マジック/ゴダイゴ」などの踊れる歌謡曲を

嬉々としてワンフレーズ連続スピン(既にスタイルの基本は確立していたのだ)。

結果、フロアが冷めるなんて生易しいものではなく、今まで楽しげに踊っていた客の殆どが

慌てて店を出てしまう始末。が、mako2根本が間違っている故に全く気にせず、ラスト曲に

「イノキ・ボンバイエ」をスピンし(サルサを履き違えていた)、満足気にガッツポーズ!

…をとるも、全く理解されてませんでした。ハイ。

プレイ後にMCで繋いでくれたパパQ氏のコメントは「若者なんです。なんだかよくわかりませ

んでしたね」とのトホホなコメント。

その後、即退散で“ヤリ逃げ”状態。ある意味劇的なDJデビューでしたよ。

『時代が俺に追いついてなかったんだ。ただ一人「ルパ~ン!」と叫び、ブースの前で踊り

狂っていた女の人の肩に止まった蝶のTATOOが目に焼きついてるぜ』(本人談)